- 院長ブログ
- 2025/12/25
天正伊賀の乱⑩ 最強名張忍者
こんにちは、三重県伊賀市の歯医者、
峰歯科・矯正歯科クリニックの院長、
KSK(けいすけ)こと峰啓介です。
今回は、第二次天正伊賀の乱の最終局面と、その後の 信長の行動 から見えてくる
「天正伊賀の乱の実像」について考察します。
◼️最終決戦地とされる柏原城
第二次天正伊賀の乱の最終決戦地は、
赤目にある柏原城とされています。
多くの研究者がこの点では一致しており、織田軍の大軍勢が、この柏原城を取り囲んだと考えられています。
◼️柏原城周辺の地形が示すもの
柏原城の正面には平野が広がりますが、その周囲は山に囲まれています。
さらに、その内側には名張川・宇陀川といった河川が流れ、大軍勢が入り込めば、身動きが取りづらい地形です。
守る側にとって、極めて有利な条件が揃っている場所だと言えます。まさに袋の鼠状態。いつでも殲滅できます。

◼️名張忍者の戦い方
私の考えでは、名張忍者は正面衝突による消耗戦を避け、地形を最大限に利用しながら、織田軍を柏原城周辺へと誘導した。
そして、被害を最小限に抑えたまま、いつでも相手を殲滅できる軍事的に優位な状況を作り出した。
その上で、全面衝突ではなく、政治的な決着――すなわち織田の傘下に入るという講和を選んだのではないかと考えています。

◼️信長公記に見る「戦後の伊賀」
ここで、非常に重要な記述があります。
信長公記には、第二次天正伊賀の乱の後、信長が数日間伊賀に滞在し、視察を行い、食事を楽しんでいる様子が記されています。
もし伊賀が、
・大量虐殺の直後
・土地一面が焼け野原
・住民が恐怖と混乱に沈んでいる状態
であったなら、このような行動は極めて不自然です。
信長が悠然と滞在し、伊賀の産物を味わい、周囲を視察できたという事実は、伊賀が「惨殺の現場」ではなかった可能性を強く示していると思います。
◼️改めて結ばれた「講和」
私はこの時、名張との間で 改めて講和条約が確認・再締結されたのではないかと考えています。
第二次天正伊賀の乱では、織田軍は伊賀を殲滅する事ができなかった。終始名張忍者に翻弄された戦いであった。
そう捉える方が、信長の行動とも、史料の空白とも、極めて整合的です。

◼️なぜ信長公記は多くを語らないのか
もしこの戦いが、
・織田軍の圧勝でもなく
・伊賀側の壊滅でもなく
・政治的な決着だった
とすれば、信長公記が戦闘の詳細を語らない理由も理解できます。
実際は名張忍者に翻弄された戦いだとすると、記録としては扱いにくい。だからこそ、淡々とした記述に留まったのではないでしょうか。
◼️次回へ
次回はいよいよ、天正伊賀の乱シリーズの最終回です。
これまでの考察を踏まえ、それでもなお残る天正伊賀の乱の謎 を整理し、この戦いが本当は何だったのかを総括します。
どうぞお楽しみに。
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